その人にピアスホールを開けてもらうのを待っている、わけない

言葉、経験、形態に整頓できない「その人」について、曖昧にしない方がいいと思った

学校の外で会うのは全然違う

その人とは何回も一緒に休日に出掛けにいった。しかもその全てが半年もない短い期間の中での出来事だった。計算上、1ヶ月に一回くらい二人で遠出していたことになる。

仲良しか。

 

学校でその人と会うより外で会う方が好きだった。実のところ、学校の人に、その人と仲がいいと思われたくなかったのだ。学校のなかで、その人は「あんまり関わりたくない」扱いされるタイプの人だったと思う。そんなその人と類友と思われるのが嫌だったというよりかは、単純にその人と他者のやりとりを聞くのが嫌いだった。他の友達のことなんて見ないで、なんてことじゃない。その人に独占欲を抱きはしない。彼女らのやりとりがひどくテンションが高かったり、喧嘩腰だったり、色眼鏡で見ていたりしたのが、聞いていて不愉快だったからだ。そういうときは、その人も、その人と話している人も好きでなくなった。好きではない人と友達認定されるのは嫌だった。そういう気まぐれな理由だ。

 

だから出掛けたときは学校にいるときよりその人と一段楽しく時間を過ごしていた。その人はパワフルだから、疲れることもあったけど、こっちが黙りこくってもその人はいつもどおり話している。元々その人の方が話すことが多いのもあってわたしが聞き役になるのは全く不自然ではなかった。いつ黙ってもいい気軽さがあった。むこうが気遣えないかわりにこちらは気遣わなくていい。楽だった。こっちは好きなときに盛り上がって、好きなときに休んだ。そんなのは、お互い同じ熱量で話して支えあって、左右対称に人という字を作る優しい健全な友情とは全然違う。友達じゃない。そう言う人もいるかもしれない。なら友達と呼ばなくていい。わたしとその人は、わたしとその人だ。

 

話が逸れた。全然出掛けたときの話を書いていない。また別の機会に具体的な話を書こう。

ラインはピカイチで楽しい

当時、話すのは鬱陶しいと思いつつも、その人とするラインは楽しんでいた。

共通の趣味の話、気になる映画の話、創作の話、ファッションの話、こっちの話、その人の話。

文字のやりとりな分、対面会話では顕著なその人の勢いが少なかったからだ。幸いなことに、文字を打つ速さは口頭より遅かった。学校で会うときよりSNS上で会う方が好きだった。

 

今はもっぱらその人とはラインとツイッターでの交流をしていて、時々電話をする。もう前のような流されている不快さも鬱陶しさも全然感じない。中々会えないから、スカイプもしようとも話した。

その人と話すのが好きだ。その人もこっちと話すのが好きだ。

その人との話は内容が充実していて話題がポンポン弾んで進んでいく。ギャグセンの高い切返しの往来、よく言語化された感情、知識同士を結びつけて切り出す新しい見解。

ゲームやエンタメみたいに、会話が楽しい。

 

鬱陶しいの一言につきる

 

たしか二年の終わりから休み時間になると話してくるようになった。一回席が隣になったこともその人がこちらによく絡むようになった原因だと思う。

そんなひどいこと言うなよって感じだが、反発でも誇大でもなく、わりと本当に鬱陶しかった。その人の好きな本、絵画、映画、場所、ゲーム。その人の話を聞いてばかりいた。話したいと思わなかったから、聞いていた。

無礼を承知で言わせてもらうと、その人は距離感が上手くはかれない人だ。精神に問題があるわけではない。ただ、今までの人生で作ってきた友達が少なかったからだと思う。流石に本人には聞けないが、そうだと思っている。後に本人の口から、地元の小学校でいじめられていたと聞いた。地元の中学では優等生ムーブをしていたらしい。その人の過去についてはまた別の機会に詳しく書く。とりあえず友達少なそうイメージは的外れではなかった。

聞く気が無いなりにその人が何を好きかがわかっていった。古代史、神話(特にギリシャ神話)、高慢と偏見シャーロック・ホームズなどなど。内容自体は興味深かった。ただその人のテンションが、性格からくる話し方が、リアクションが、とても苦手だった。

でも知らないことをたくさん話してくるのは楽しかったし、時々こちらから楽しそうに相槌を打つこともあった。そのあとは決まって、(あ~、話が続いてしまう。やっちまった)と頭を抱えた。

そのうちまわりの友達から「仲良しじゃん」と言われたり、その人のことはあいつに聞けばわかる、というような雰囲気になっていた。そんな仲いいつもりなかったんだけど、その人と話してるときめんどくさそうにしてるの見えない?と聞くと「でも仲いい相手に対しても大体あんなクールさじゃない?」と返ってきた。身から出た錆という言葉を思い出した。こっちの中では全然違う態度のつもりだった。

 

鬱陶しくても手酷く断る労力と気合いを惜しんだ。それからもしかしたら、可哀想だから断れなかった、なんてのもあるかもしれない。むこうのペースに流されてる、強引だ、今さらながらそう思う。

その人の鬱陶しさに麻痺して受け入れていくまで、半年はかかった。長い馴れ初めだった。

振り返ってみても、第一印象、馴れ初め、それぞれ全然よくない。その人はそういうところがある。好きじゃないに好きをぶちこませてしまう勢い、好きじゃないに好きを与え続ける持久力(無視力?)。あとはこっちに好きが生まれるまで待つだけ。一方的。でも今はもうこっちにも好きが生まれている。流石だよ。幼稚園児並みのアプローチでとてもしゃれてるとも普通とも言えないけど。

その人について

高校が同じだった。一年のときから友達から話を聞いたり見かけたりしていた。
良い話を聞いたり好意的な印象を持ったことはなかったけど!
どちらかというと、知識語りしたい(でも内容が間違ってることもある)(だめじゃんそれ)、スポットライト当たりたい系人間な印象。その印象も間違っちゃなかったと今でも思う。そういうタイプの人間は避けて通りたいと思っていた。浅はかで、見かけ倒しで、向こうが自己満で話して気持ちよがられる、そういうのはごめんだ。

二年のとき同じクラスになった。三年はクラス替えが無いので三年のときもそう。
正直覚えてなかったけどその人曰く、同じクラスになった時からアタック(本人がそう言ってた)してたらしい。二年の冬くらいからしかそのアタックの記憶が無い。二年の時は文化祭で仲良くなった友達と気が合ってよく一緒にいた。話は逸れるけど仲良かった子のうちの一人と美術でペア組んで模写したのすごい楽しかった。
そんな風に仲良かった子達といない間にその人が絡んでくるのが鬱陶しくなったのが冬。鬱陶しいのと、疑問。今思えばわりと最後まで鬱陶しかった。

生まれてはじめて書きたいことがあると思った

ある人に対する感情をどう扱えばいいかわからないからこんな自己陶酔みたいなブログをはじめた。
実際、みたいな、なのかそのもの、なのかも自信が無い。酔ってないと思いたいのだけは確実。
このブログにかくことになるのはきっと事実と、対応する自信が無い感情の二つになる。

このブログをみて、同じ感情を持っている人がいるとわかったらこの落ちつかなさも減るかもしれないと思って書いている。


その人へ
この感情の答えをください。
それに従います。
くれないなら、見なかったことにしてください。
無いことにしてください。
それに従います。



もし同じ感情を持っていたなら一緒に考えてください。