恋と呼ぶにはひねくれている
恋愛と友愛の線引きする力を持っていないから、こんな面倒なことになる。性愛が伴えば簡単だったのだが、生憎人生で一度も抱いたことがない。
考えることも疲れたので、安直に診断に頼った結果をここに書く。
シスジェンダー(性自認と身体性が一致している)
ノンセクシュアル(恋愛感情は抱くが相手に性的欲求は抱かない)
デミロマンティック(強い絆を感じている人にのみ恋愛感情を抱く)
パンロマンティック(全性に恋愛感情を抱く)
恋愛感情とは?わからないことには変わりなかった。
だが一つ思ったのは、わたしは性的欲求は抱かないにせよ、もし、もしその人が性的欲求を抱いてきたとしたら、わたしは受け入れてもいい。その人が愛してくれているなら、できる。できると思いたい。
その人に愛されたいだけで、愛してはいないのか?そんなことはない。
なら、その人に愛されなくても愛せるのか?無理だ。それは無理だ。愛する愛されるの輪を、自分が愛する方から切り出すのはとても難しい。
平素その人と接している時にずっとこんな感情な訳ではない。普通の友達通りの軽い親しみしか感じない時もある。その人がいないとダメだと思うのは大抵、後ろ向きな時。人恋しいだけじゃないか?でも誰彼構わず甘えたいとは思わない。そんな想像、ゾッとする。今でさえその人にだって泣きつけない。愛されている自信が無いから甘えられないんじゃないか?愛してくれれば誰でもいいのか?それはない。わたしの選り好みは激しい。平然と嫌いな人リストは更新される。自己愛が欲しくてその人から愛されたいんじゃないのか?その人ことも愛したいと思っている。好きな人の期待に応えたいと思うだけの健気さはある。
固まりきらない感情を無理に片付けようとしているのはわかっている。自己の方向からの意見だけでは解決しない。問題の一端にいるその人に聞く?ただの質問で済ましてもらえるわけない。一番あり得ない。一人で解決するなら忘れるか上塗りするかしかないだろう。この件に関しては、考えることは一人で解決するための手段では無い。