その人にピアスホールを開けてもらうのを待っている、わけない

言葉、経験、形態に整頓できない「その人」について、曖昧にしない方がいいと思った

ありえない話

その人と、ひょんなことから恋愛について話したことがあった。その人は初恋はまだだと言った。意外だった。その人はわたしが思う通りにロマンチストであり、わたしが思う以上に冷静だったのだろう。その人は、良いなと思う人はいても、良いな以上の気持ちはなかったと言った。わたしは中学のときに初恋をした。クラスメイトの男の子で、少し仲もよかった。恋愛感情を打ち明ける勇気は出なく、卒業してそれっきりだ。でも元々自分の恋愛の話するのは苦手だったのでその人には言わなかった。その人も追及しなかった。

その時だったか、また別の時だったかはわからないが、その人が「女の子から告白されたら、嬉しいけど応えることはできないな」と言っていたことがある。「そうだね、好きでいてくれているのは嬉しいけどね」と返した。その時は疑いようも無くそう思っていた。その話をどちらが切り出したのか覚えていないのが今になってとても悩ましい。もしその人から切り出していて、もしそれがその人がわたしに「お前は応えてくれるのか?」とカマをかけるために聞いたのだったのなら?もしも話の域を出ないが、本当にそうだったならわたしは取り返しのつかないことをしたし、その人も取り返しのつかないことを言った。その人の言葉のために今わたしはその人への好意を認めさせるわけにはいかなくなった。でももう一度聞かれたら、今は違う答えを出すだろう。その結果その人が「ではわたしなら?」と聞くならわたしは勿論拒まない。拒む理由も感情も探したって見つからない。

これらの想像は全てひどく楽観的で、恋愛小説じみている。その人がそんな姑息なカマをかけてくるとは思えない。はじめから「友達になりたい!」と力業で押してきた人間がこうも感情にセーブをかけるわけない。違うなら、その人のことについて、まだ知らない側面があるということになる。その人がわたしの知らない側面があるのと同じようにあるなら。その時この状況を変える一言を言うのはわたしだと思う。その人はわたしがその人を失うのを恐れる気持ちを知らないだろう、わたしならその人から簡単に離れていくと思っているだろう。その人から伝えてくるリスクは、わたしからその人へ伝えるリスクよりきっと大きいと感じているはずだからだ。

だがこんなことは、いくら根拠付けをしても想像が想像でしかないことを強調するばかりで虚しい。事実ならこんな必死に裏を探す真似なんて必要ないのだ。