その人にピアスホールを開けてもらうのを待っている、わけない

言葉、経験、形態に整頓できない「その人」について、曖昧にしない方がいいと思った

学校の外で会うのは全然違う

その人とは何回も一緒に休日に出掛けにいった。しかもその全てが半年もない短い期間の中での出来事だった。計算上、1ヶ月に一回くらい二人で遠出していたことになる。

仲良しか。

 

学校でその人と会うより外で会う方が好きだった。実のところ、学校の人に、その人と仲がいいと思われたくなかったのだ。学校のなかで、その人は「あんまり関わりたくない」扱いされるタイプの人だったと思う。そんなその人と類友と思われるのが嫌だったというよりかは、単純にその人と他者のやりとりを聞くのが嫌いだった。他の友達のことなんて見ないで、なんてことじゃない。その人に独占欲を抱きはしない。彼女らのやりとりがひどくテンションが高かったり、喧嘩腰だったり、色眼鏡で見ていたりしたのが、聞いていて不愉快だったからだ。そういうときは、その人も、その人と話している人も好きでなくなった。好きではない人と友達認定されるのは嫌だった。そういう気まぐれな理由だ。

 

だから出掛けたときは学校にいるときよりその人と一段楽しく時間を過ごしていた。その人はパワフルだから、疲れることもあったけど、こっちが黙りこくってもその人はいつもどおり話している。元々その人の方が話すことが多いのもあってわたしが聞き役になるのは全く不自然ではなかった。いつ黙ってもいい気軽さがあった。むこうが気遣えないかわりにこちらは気遣わなくていい。楽だった。こっちは好きなときに盛り上がって、好きなときに休んだ。そんなのは、お互い同じ熱量で話して支えあって、左右対称に人という字を作る優しい健全な友情とは全然違う。友達じゃない。そう言う人もいるかもしれない。なら友達と呼ばなくていい。わたしとその人は、わたしとその人だ。

 

話が逸れた。全然出掛けたときの話を書いていない。また別の機会に具体的な話を書こう。