その人にピアスホールを開けてもらうのを待っている、わけない

言葉、経験、形態に整頓できない「その人」について、曖昧にしない方がいいと思った

きらいだ

ふと開いたsnsで、その人が合格連絡をしているのをみた。浮かれてる。とても嬉しそうだ。

は~氏ね~~~

淀みなく思った、バカ軽くて一片の遠慮も愛着も無い言葉。頭から水ぶっかけられたレベルで冷静に感情が出てくる。

あ~~きら~い~~~~~~

こんなこと何度も思ってきてるし自分の性格も把握しているから、「こんなひどい風に思っちゃうなんて!友達なのに!ごめんねこんなわたしで...うぇえええん」なんて道徳満点人間みたいなおやさしい気持ちには微塵もならない。バレなきゃ何思ってても問題ない。そういう考えだ。

別にその人がしたことはなにも悪くない。普通にまあするよね、ずっと目指してたもんな、どうぞどうぞ。はい良かったね。そう思うが、は~~氏ね~~~くらいナチュラルに出てくる。こっちの神経の問題だからその人はなにも悪くない。ただこれで思い出した。その人のこと普通に嫌いになるとき、ガンガンある。そしてそういうとき、普段は触れないようにしている核心、その何倍も自分自身のことが嫌いなことが透けてくる。自分のことが嫌いなのを誤魔化すためにその人に嫌いを押し付けてるのかはわからない。

 

こういう感情だけは明白にラベリングできるし手間取ることなく認識できる。こうやって文字化するのも楽々だ。もちろんこの後どうやって対処していくのかもばっちりわかっている。出てくる頻度が高くて、馴れてる感情なのがこれか。呆れて鼻で笑ってしまった。